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子どもらしいという幻想

子どもはどんなものでも遊び道具にしてしまいます。これは今も昔も変わらない事でしょう。例えば私の子ども時代ではダンボールを使って自分達の秘密基地を作ったり、切れ端で土手を滑ったりもしました。また、木の枝が一本あれば、そこから映画や漫画、アニメに出てくるようなヒーローの剣を連想しては振り回して遊んでいました。

最近では子どもが子どもらしい遊びをしなくなったという話をよく耳にします。しかし、子どもは今も昔も変わっていません。その為、変化しているのは環境だといえるのではないでしょうか。もちろん、今の子ども達が遊んでいるテレビゲームやカードゲームが悪いというわけではありません。これらの遊びもれっきとした子ども達の遊びと言えます。しかし、それでも多くの大人達が『子どもらしい遊びをしなくなった』というのは、あくまで自分達の視点で子ども達を見ているからに過ぎないのではないでしょうか。

そもそも、『子どもらしい遊び』とはなんでしょうか?

ステレオタイプな認識をするのなら、映画『ALL WAYS三丁目の夕日』に出てくるような昭和の風景が『子どもらしい』といわれる遊びの代表格かもしれません。確かにこれらは子どもが無邪気にはしゃいでいる姿を連想するに足るかもしれませんが、『無邪気にはしゃぐ』という意味では現代のゲームでもそれほど大きな差はありません。ここもやはり大人のノスタルジーが込められた願望が混じっているといっても良いかもしれません。

子どものポテンシャルは今も昔も変わりません。
昭和の時代で遊んでいた子ども達が遊び道具としてあまりお金を掛けていなかったのは、物がなかったからです。現代では物が溢れ、子ども向けのコンテンツも一昔前と比べても格段に市民権を得ています。だからといっても物がある状況が悪いのではありません。恐らく、昭和の子どもも今と同じような環境にあれば今の子ども達と変わらない状況になっているのではないでしょうか。

子どもはどんなものでも遊び道具にしてしまいます。東日本大震災で被災した方々の中では子どもの為にゲームを救援物資として送って欲しいと要求する方もいるようですが、子どもはゲームがなければそれに変わる遊びを自ら見つけることができます。『子どもらしい遊び』という枠組みに捉えられているようでは、きっといつまで経っても『子どもらしい遊び』という問に対する答えは出ないのかもしれません。
もしかしたら、『子どもらしい』とは、私達大人だけが持つ幻想なのかもしれませんね。


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いままで大切にあたなを育ててくれた両親の思いは色々あると思います